「話し相手」でありたい理由
話し相手でありたい理由について、説明させていただきます。
このページは長くなりますが、よければお目通しください。
最後まで読んでくださった先生とはご縁がある気がします^^;(それくらい長い…)

「話し相手」でありたい理由
わたしが「話し相手」でありたいのは、次の理由からです。
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士業事務所、士業法人の先生の話し相手になりたい。
・悩む時も、悩んでいない時も
・孤独な時も、孤独でない時も
・拡大したい時も、現状の規模を適切に維持してゆきたい時も
・定期的に話して、自分の位置について定点観測しておきたいと思う時も
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なぜこう思うのか、わたし自身の経歴をもとに説明をさせてください。
わたしは士業(行政書士)として24年、活動しました。(=2000年に開業・当時27歳)。
他の資格を取得し兼業士業としてやる方法(=時間をかけて他資格の試験に挑戦する)はありましたが、身辺の状況もあり、行政書士一本でやってゆく道を選びました。
※他の資格取得できたかどうか不明なのに言っていますが。
自宅の一室からスタートしました。
あるのはパソコン一台。
コネ無し・カネなし・実務経験なし。
2年目に事務所を移転(異業種の入る共同オフィス)。
組織的な事務所にしたかったため、売上が少ないのに雇用を開始(パートタイム)。
「人を雇っているとすごい」という雰囲気だけで雇うアホです。(それくらいの経営者レベル)
就職してくださった方には苦労をかけました。
手狭になったため、移転(広島市中区西白島町)。売上が上がる前に、したいことをするアホです。
また、マネジメントのマの字も知らない若造が、正社員を雇用し始めたのもこの頃です。
この時の事務所名は「ひろしま中央行政書士事務所」でした。(拡大したい考えが容易に推測できるネーミングですよね)
それから10年あまり個人事業で営業したのち、2012年に行政書士法人化。
ちなみに、ずっと、社内のガタガタ、ゴタゴタは継続している状態です。
マネジメント能力の低い代表者(=わたし)が主な要因ですが、案件全体の品質が低く、依頼者にご迷惑をおかけすることもありました。
従業員にも迷惑をかけました。
生産性が低いまま、皆が業務に忙殺される中で求人活動を行い、雇ってはいけない人を雇ったりしたのも、この頃の割合が多いですね。
翌年には同じ広島県内に支店設置しました。この頃は無我夢中で記憶があまりありません。
本店が手狭になったため、2014年に事務所を移転(広島市東区光町)。
グループ内の4事務所と合同での移転でした。共同とはいえお金かかりました。。。
この頃少しずつ、マネジメントというものがどういうことなのか、
経験するうちに(否応無しに)わかるようになりましたが、相変わらず、苦手でした。
この時期は、行政書士法人単体で、一番多いときで12~13人の事務所でした(社員と同等の委託費を支払う協力先行政書士を含む)。
規模が大きくなれば、皆が幸せになると信じていた時期でもあります。
いや、皆が幸せになるために一定の規模以上にしておかねばならないと考えていた、ともいえます。
当時、行政書士専業の事務所としては広島県内最大でした。
がむしゃらに、事務所経営、運営に励みました。
目の前の課題を解決するために走る毎日を続ける中、顧客数は増え、顧客の規模も大きくなってゆきました。
地域において誰しもが知る企業さんの顧問になった時は嬉しかったですね。従業員数が数千人の企業さんの顧問にもなりました。
行政書士というのは、顧問という形で企業に携わるのが難しい業種と言われています。
地方の地場中堅・大手になると、総務は顧問契約を望んでいるが、役員層の段階で「行政書士が顧問?」という意識もありました。
そんな中で顧問契約する時には、感慨深いものがありました。
顧問まで至らなくても、テレビでCMが流れる地場企業さんからの依頼も多数ありましたね。
それらと同時に、事務所創立以来行っている創業支援業務も続けており、その水平展開から会計記帳代行業務も開始しました。
会計記帳はクラウド会計の普及によりオワコンと言われそうな(当時も言われていた)業務ですが、ご依頼は多かったです。
50~100社の記帳業務が進んでいました。
BtoB(=対事業者向け) 行政書士専業事務所でしたので、当然、行政書士の主戦場である中小零細向けの許認可申請代理も多く行っていました。
当時、外から見ると、いわゆる「イケイケドンドン」の事務所であり、儲かっているように見えたと思います。
でも・・・
内情はガタガタ、収支は火の車。
いくつもの要因が重なっての、来るべくしてきた危機ですね。
ついには金融機関からの融資が断られ、資金ショートの危機に瀕しました。
職員の離職率は高く、退職も連続します。
時間をかけ(=人件費や私自身の時間をかけ)、稼いでもらう水準に育てては退職。。
お金と人の問題による廃業の危機は、一度や二度ではありません。5回?10回?
顧客情報を盗んで競合先の事務所へ駆け込もうとするパート社員。
後輩へのパワハラ、セクハラをするモンスター社員。
一生懸命に求人活動を行って採用した人が二日目に来ない。
などなど。。。
新卒採用を始めていたのですが、年末仕事納めの後で帰ろうとすると新卒社員が歩いてきて「今年もお世話になりました!」と挨拶に来たのかと思いきや、退職届を出されたのも思い出します。わかっていただけますでしょうか、正月のお休み中の気持ち^^;
そんな中、人関係と資金繰りに対処している間に精神を病み、民間の心理カウンセラーのお世話になった時期もあります。
(わたし個人にお金がなくて、続けられませんでしたけれども)
この頃は自分の、ありとあらゆる能力のなさを実感させられた時期です。
また自分の考え方と現実との乖離も認識した時期でした。
人間不信もマックスでしたね。他責思考もマックスな時期です。何よりも孤独でした。
他にも数え切れない、いろんな波乱がありましたね。
ちなみに、この時に融資を申し込んで断られた書面はこちらです。
(今でも保管しています)
お前はダメ経営者だ!!と言われた気がしました。いや、実際そうでしたね。
それから紆余曲折の結果、規模拡大路線をやめ、足元を見て出直すことに決めました。
自分の力量のなさを痛感することは当然として、こんなことも考えました。
・自分にとって得意なこと、不得意なことは何なのか?
・得意なところに力を入れるためにはどうすればいいのか?
・一体、何がしたいのか?どんな人生を歩みたいのか?
などなど。
その結果、事務所運営のうち
人の管理を中心とするマネジメントについて、もうひとりの役員である行政書士に頼み込んで、担当してもらうことにしました。
その頃に社員の中から「右腕」が育ってくれていたことは、私にとってこの上ない幸運でした。その人には感謝してもしきれません。
人に関する権限はすべて、持ってもらいました。
本音を書きますと、わたしはかなり偏くつな人間でして。
従業員に有給休暇制度があることや、社会保険料を会社が半分持つことに、文字では理解できても、心では理解ができません。(=法律があるから、世界もそうしているから、では理解ができない。)
特に、社員から有給の申請が来るのが辛くて仕方なかったです。
そういう人間が、人の管理をしてはいけなかったのかもしれませんね。。。
話を戻します。
そこから士業事務所の運営上の役割として、私の得意とする部分(=外向けの活動、集客、枠組み、法人全体の器づくり)に専念しました。
ありとあらゆる可能性を探り、行政書士法人の利益になること、運営に差し障りのない範囲で、色んなことをさせてもらいました。
そしてあるときから後継者候補を模索しはじめ、「崎田だから頼んでいる」顧客から法人に頼んでいる顧客への変革と、法人の生産性向上を目的に、担当制を徹底したのもこの頃からです。
理不尽、横柄な顧客、執拗に値下げを求めてくる顧客、といった、私たち(法人に属する、関係する人たち)にとって良くない顧客との契約をお断りしたのもこの頃です。売上に大きな影響が出ました。
同時に業界へのご恩返しとして、また、自分自身の事務所経営の学びになる※ため、全国20箇所(くらいかと思いますが)で、講演をさせてもらいました。内容は、事務所運営、マーケティングについてが多かったです。
※アウトプットするとすごく学びになりますので。アウトプット=インプット は正しいですね。
振り返ると、講演をお引き受けしたのは、自分と似た環境である可能性のある人たちと話す機会を渇望していたんだろうなと感じます。
ただ孤独を紛らわせたかったのかもしれません。
また外向けの活動、集客、枠組み、法人全体の器づくりの中には、士業のグループ(=あすみあグループ)の発起人の一人として創立したことも入っています。関わる人全員が楽しく仕事をするためにはどうすれば良いのか、考えた結果の行動です。
最初の代表となりました。(数年後、組織が落ち着いたので退任し、平理事に)
※事業体、財務、情報管理は独立した、ほぼ資本関係がないグループです。士業中心ですのでそうなりますね。創業した行政書士法人Asumiaもグループの一員です。(現在、約10社が参画しています)
その後、約9年間、事務所運営を続け、行政書士法人(行政書士法人Asumia)について、事業承継を想定して入社してくれていた社員に承継し、保有株式(持ち分)を全て譲渡。同時に代表も退任しました。2021年(48歳)のことです。
行政書士法人の代表を退任後は、
再度、個人の行政書士として、開業しました。(広島市東区光町。行政書士法人とは別の場所です)
創業する人だけに特化して支援を行う事務所です。
あわせて、上場企業、非上場企業、投資信託やETF、デジタル資産、米国債などへの投資を行う個人投資家としても活動を開始しました。
このウェブサイトの「士業事務所.com」の本格稼働もこのときです。
2024年には、行政書士法人を承継してくれた社員(代表社員)のくも膜下出血による急逝という悲しい出来事や、それに伴う事務所合併などがあり、今に至っています。人生、何が起こるか分かりません。
現在、行政書士法人については相談役として関与させてもらっています。
2025/3
高校生になる歳の息子から、日本の高校なら行かない、海外の学校へ行きたい、という希望がありました。
その話を聞いて、わたし自身もコンフォートゾーンから抜け出して、また新しいことに挑戦したいと思い、一緒に移住することにしました。
マレーシアのジョホールバルという都市です。2025/3/31から居住しています。
新しいことばかりで驚きの連続です。この経験と得る価値観も、対応に反映させて参ります。
移住にあわせ、24年続けた行政書士登録をおろしました。(3~5年後、帰国するならば、また登録しようと思います)
士業ではなくなったので、あすみあグループ理事・代表職も退任となりました。準会員として関わってまいります。
海外移住だなんてとんでもないことだとわたし自身も思いますが、決めてしまったので何とかするしかありません。
この国でも事業ができればいいなと思っています。
2025年4月時点、51歳。周りの皆さんのおかげもあり、働くことができています。
プロフィール、長かったですね、、、お疲れ様でした、終わります(もう少し文章は続きます┏○)
冒頭の「理由」を再掲いたします。
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わたしがご相談に乗らせていただいているのは、次の理由からです。
士業事務所、士業法人の先生の話し相手になりたい。
・悩む時も、悩んでいない時も
・孤独な時も、孤独でない時も
・拡大したい時も、現状の規模を適切に維持してゆきたい時も
・定期的に話して、自分の位置について定点観測しておきたいと思う時も
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士業の片隅ではありますが、1つの事務所を立ち上げ事業承継まで終えた身、言い換えれば「ひとまわり」した者として、お役に立てることをしてゆきたい、と考えました。
競合ではない、利害関係はまったくない、しがらみもない立場で接しさせていただいています。
(世の中で一人くらい、こんなことをする人間がいてもいいですよね?)
関連して最後に。
少し大げさなデータとお感じになるかもしれませんけども、ファクトとして提示させてください。
カリフォルニア大学、スタンフォード大学等の共同研究(2015)において、次のような結果が報告されています。
「起業家の49%が生涯に1つ以上のメンタルの問題を抱える」
「起業家でメンタルの問題を抱える人のうち、30%がうつ病である」
驚くべき数値ではありますが、個人的には納得できる数値でもあります。
日本はサラリーマンが労働者人口の85%を占めているので、雇用された状態でのメンタルの不調については話題になることは多いです。
他方、経営者、事業主層については、ほぼ、話題にのぼることはありません。(見聞きしたことありませんよね?)
経営者、事業主は自己責任論が強く、そもそも自己責任か否かの議論すら生まれることはありません。
そんな中において
私が実際に経験し、身近でもある「士業の代表という職業」は特に、他へ相談しにくく、一人で問題を抱え込みやすいと感じます。
普段、相談される立場ですもんね。わたしもそうでした。
同期、先輩、異士業と会うとき、話すことはあると思いますが、基本、全員が自己責任の世界であり、同業については強弱あれども競合の関係。
それに、事務所それぞれに志向や地域、環境の違いがあり、話したいことが話せない、話しても理解されないこともあります。
ブログ記事よろしければ「【士業】相手の話が日本語として理解できるが通じないことがある件」
また、士業事務所の規模は、一般的な会社に比べて、人数は少なくなりがちです。(多いところもありますが)
人の管理を苦手としていない「右腕」の出現がない限り、士業事務所の代表先生は、ご自身がその役割を担っている(担わざるを得ない)のではないでしょうか。 士業事務所、士業法人の先生は、とにかく、孤独に陥りやすい立場にある、とわたしは感じます。
そんな先生の話し相手にもなりたいとも思っております。
長らくお読みいただいて、ありがとうございました。心から感謝いたします。
実際にお話の話題(議題)として挙がった内容をこちらにご紹介しています(もちろんデフォルメして)。よろしければご覧ください。
事例 詳細解説